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金剛院(こんごういん)は、群馬県沼田市にある天台宗の寺院。山号は海王山。 == 歴史 == かつては赤城山金剛院といい、現在の昭和村三室にあり、赤城山の別当職をしていた。明徳・応永年間に三浦沼田氏の沼田五郎景次が上洛して出家し、上沼須町に寺院を建立したのが開基といわれる。この沼田景次は、沼田太郎上野介景繁の三男であり、京都においては愛宕山威徳院の別当となっていた。その後、一時、寺運は衰微してしまったが、寛正年間の頃、中興一世の宏栄法印の時代になって沼田氏から愛宕地蔵尊像、寺領、供養料を賜り隆盛した。また、沼田氏が滅んだ後、真田氏の時代になってから、元和元年(1615年)に伊豆守信幸から百間四面の地を賜り、現在の地に移っている。この後、数度の火災にあうが、その都度再建立されている。 現在の本堂は天明7年(1787年)に、二十世の覚便法印によって建立された。明治維新前は、上野東叡山寛永寺の末寺であったが、維新の時に寛永寺が焼失したので、それより比叡山延暦寺の直末となった。そして、明治14年(1881年)、二十八世の亮海法印の時に成田山新勝寺より不動明王を勧請している。以降、信者団体である成田講(現・沼田成田山金剛講)が結成されて現在に至る。 総門に続いて薬医門をくぐれば正面に落ち着いた雰囲気の本堂が見られ、右手には鮮やかな朱色の鐘楼が見えてくる。境内の池には、水かけ不動像があり、諸難に悩む民衆の信仰を集めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金剛院 (沼田市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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